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精度低めの自己反省アンケート

1年前の下書き

久しぶりに更新をする。残っていた1年前の下書き。

何でそのままにしておいたんだろう……。

そういえば『かもめ食堂』とか観ていたな、とかしみじみしている。

 

------ここから1年前--------------------------------

 

2012年の最後の大騒ぎは紅白でのももクロでの世間の盛り上がりをのぞけば、マヤ文明の終末論だったかなと思う。海外では逮捕者を出すほどの騒ぎになっていたようです。そういうニュースを見ていて思ったのが、

「明日24時で終末だから」 

って言われたら、何をするだろう、ということ。まずは、

「それってウィークエンドって意味じゃなくて?」 

って聞く。するとおそらく

「むしろワールドエンド」

って返答が来ると思うから、それを聞いて、よく考えると思う。

 

確か、映画『かもめ食堂』の中での答えは、

「たくさん美味しものをつくって、好きな人たちと一緒に食べる」だった。 

なるほど。僕は料理がうまくない。最後の晩餐にふさわしい一品を仕上げるのはハードルが高めなので諦める。すると誰かに作ってもらわなければいけない。むしろ誰かと一緒に作りたい。切る係や炒める係とかを決めて、お話をしながら賑やかに、色々な料理をつくるのは楽しいかもしれない。 

では、どんな人と料理を作り、食べるか。嫌いな人は、そもそもだが、仕事の上司は嫌だ。来週のプレゼン資料のこととか、進捗具合尋ねられても終わる前に、世界が終わっている。クライアントの前に神様の前で最後の審判の時のプレゼン考えなきゃいけないのに。

話がそれた。きっと家族と過ごす人もいるだろう。若い人なら、やはり好きな人とがいいのという人が多いのではないかと思う。夫なら妻だろうし、妻なら夫だろう。そういう夫婦が多いことを祈る。

では全くの独り身はどうするのか。ステディな相手がいなければ、もう気になっている人にアタックするしかない。世界が滅亡するまえにせめて気持ちを伝えて終わりたい。告白して後悔なく死にたい。いや、あわよくば両思いであることが発覚し、入籍して夫婦として死にたい、と思うに違いない(きっと役所も休んでいるので、婚姻届は受理してもらえないと思う)。

 

そうすると、モテる人とは「世界最後の日にめっちゃ告白される人」となる。世界滅亡確定の速報ニュースと共に、鳴り始める電話、スマホのプッシュ通知。LINE、FB、Twitterのリプライ、メール、一目惚れの愛の告白の波状攻撃。誰もがその人と最後の日を過ごしたがっている。究極のタイムリミットが迫っているからだ。

 

そう考えると、人にはそれぞれの人生の締め切りがあるから、モテる人も忙しくないのだろうと思った。

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まず、終わりから始める。

12月第三週のR25のコラム「結論はまた来週」に、
なるほどなことが書いてありました。

要約すると、

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人は終わりを感じることで物事を始める。
何かをする時、〆切りがあってようやくスイッチが入るものなのである。
人は、終わるから、始める。

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終わりがあるから、人は動く。
というか、動かざるをえない。

 

なるほどな、と思った年の瀬でございます。

昨日の自分を信じない

最近注目している人が言っていたことです。

  • 昨日作ったドキュメントの正しさを信じない。
    (使う前にもう一度見直す)

  • 昨日作ったアイデアの面白さを信じない
    (もっと面白くできると、採用する前にもう一度ブラッシュアップする) 

心がけようと思います。

都合悪いことが起きたときの考え方

「あの人のせい」と思うのではなく、
「自分がこうしていれば…」と後悔するのでもなく、 
「仕組みが悪い」と考える。

 

今日、「失敗したかな」と思うことがあった。
けれど、このことに気づくことができたいい1日だった。

もしもタイムマシーンがあったら、、、

宇宙創成まっただなかの神様に会いにいって
1日でこの世界をつくってもらう。

聖書によると次の日、神様は休息をとるはずだ。

すると今は、月曜日と日曜日から成立している
ということになってるという仕組み。

 

たぶん。。。

 

振り返れば過去しかない

過去と未来の非対称性

「今」を折り目に人生を二つ折りにすると 
僕の人生は過去の方が長いだろうか、未来の方が長いだろうか。 

僕くらいの年齢だと未来の方が長いと無意識に思いがちだけど、
実際何がどうなるか分からんからね。 

自分ではない人のことを考える

ビジネスで成功したり、何かを作って評価されたりするには
多くの人のニーズやインサイトをつかむことが必要と言われております。

でも人は他人にはなりきれない。

結局は自分をサンプルにして、そのニーズやインサイトを探さなければいけない。
すると、なるべく自分はマジョリティな人間であった方がいい。

その人の感じるニーズは多くの人が感じるモノであることが多いから。

 でも、それだけじゃ戦場は狭い。
自分の生活や行動から 考えられることは限られてる。

もっと自分ではないの人(母である人、車いすの人、小学生、おじいちゃん等)が
日々、何にどんなことを感じているかを考えて
モノをつくっていかなきゃと思いました。 

自分は「iPhoneのケースはいらない」
と思ってる。

けれど、世の中にはそう思いながら、
「〇〇はXXXが欲しいだろうな」って思って
かっこいいiPhoneケースのデザインを考えて
結構もうけている人がいるのではないかな、
と考えて思ったこと。 

 

とても当たり前のことでありますが。