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精度低めの自己反省アンケート

あああああー!!寝てたああああああ!!!!

朝起きて、ビックリすることがある。

なんと布団で寝ているのだ。

当たり前のことではありますが、
おかしなことに布団に入った記憶がない。

そういうときは、たいてい夜更かしをして本を読んでいる時です。

本を読んでいて、眠気の限界を迎え、無意識に布団へ向かっているのだと思います。

布団の上に倒れるように寝ているのではなく、
掛け布団の中に入って姿勢よく寝ています。

おかげで、この冬まだ風邪をひいていません 。

ありがとう。
無意識の俺。

自分史上初の言葉

「好き」になる理由は毎回違うのに、
同じ「好き」という言葉を使うのはなぜだろう 。

 

好きや嫌いという言葉を器とするならば、人は相手をどちらかに振り分ける。
時に好きから嫌いへと中身を移動させる。逆もしかり。

 

好きになることは、その人を「好き」の器へ入れること。
でも人は、特別な相手のために、
その人だけの器をこさえることはしないのだろうか。

その人のための器。言葉。

それまでの自分になかった器を、その人のために作り出す。
そういうことはないのだろうか。

 

自分にない感情の器が作られる時、
人は既にある言葉でその感情を表現する。
手持ちの言葉の組み合わせ、つまり文章で、固有の感情は表す。

 

でも、それは新しい「言葉」じゃない。
「この感情 には、この言葉」という風にはならない。 
「あなたがくれたこの感情につけた名前はコレです」 と言えるモノではない。

 

これって私的言語?

 

そうか。こうも言い換えられそうだ。


 一人一人に抱く感情は違うのに、
「好き」と「嫌い」の2つの言葉ですむのはなぜだろう。

 

指示の問題、志向性、意味論、言葉の不思議である。

 

そもそも言葉に、明確に決定づけられた指示対象なんてあるのだろうか。 

 

しかし、これはまた別の話。

 

つづく?

朝の決まり事

毎朝、通勤の際に決まってすることがある。

 

駅の自動販売機でお茶を買うこと。

 

今は冬なので温かいペットボトルのお茶を買って、
そのお茶をすすりながら二駅先まで電車にのる。
そして会社につけば、空いたペットボトルは水を入れるコップとして使っている。 

 

僕は、そんなお金持ちじゃないので、毎朝120円〜130円の出費は結構きつい。
でも、なぜかこの朝の習慣がやめられない。

 

その理由の一つは寒いからというのがある。
寒い中、それこそまさに手持ち無沙汰な両手を暖かいもので満たせるのだから、
買わないにこしたことはない。

 

理由の二つ目が時間つぶし。
暖かいお茶があった方が、通勤の10分弱の時間を有意義に過ごすことができる。

 

三つ目の理由は快感なんじゃないのかと思っている。
何かを手に入れるっていうのは一つの快感何じゃないかと僕は最近考えている。
この冬の寒い 朝、かじかんだ手を温められて、さらに飲むことのできるアイテムというのは
とても貴重なのです。
そういうわけで、温かいお茶を自販機から取り出すとき、
そういうメリットのあるアイテムを手に入れられるという喜びも、
僕は味わっているのではないかな、と思っている。

 

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ただの水たまりも、
紐で囲んで「立ち入り禁止」の看板をかけておけば、
深そうに見える。